最終更新日:
芸能・お笑い

瀧山あかねのNMB48時代は?2期生・研究生として活動、卒業の理由とABEMAアナウンサーになるまで


ABEMAアナウンサーの瀧山あかねさんが「元NMB48」と紹介されているのを見て、「いつ、どのくらいNMB48にいたの?」「なぜ卒業したの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。この記事では、本人のインタビュー記事と報道をもとに、NMB48時代から、ABEMAのアナウンサーになるまでの歩みを整理します。

要点

  • 瀧山あかねさんは、1994年5月10日生まれ、兵庫県出身。高校在学中の2011年にNMB48の2期生オーディションに合格し、研究生として活動した。
  • 学業との両立が難しく、2011年12月に卒業。2012年1月のイベントが、グループでの最後の活動になった。
  • 卒業のときに「アナウンサーになる」と宣言。関西でのタレント活動を経て、2017年9月にAbemaTV(現ABEMA)の初代専属キャスターに採用され、2018年4月から本格的に活動している。

NMB48時代

2011年、2期生オーディションに合格

瀧山さんは、高校在学中の2011年に、NMB48の第2期生オーディションに合格しました。研究生として活動を始めています(エンタメNEXT、Wikipedia)。同じ2期生の島田玲奈さん、高野祐衣さん、與儀ケイラさんとは、今も親交があると話しています(エンタメNEXT)。

学業との両立が難しく、1年足らずで卒業

瀧山さんは、2011年12月に卒業しました。グループとしての最後の活動は、2012年1月の発売記念イベントでした(Wikipedia)。報道によって「2011年12月卒業」「2012年1月卒業」と書き方が分かれるのは、卒業した時期と、最後の活動の時期のどちらを指すかの違いです。

卒業の理由は、学業を優先するためです。エンタメNEXTのインタビューで、瀧山さんは、活動が忙しく、学校の授業だけでなく、修学旅行や体育祭、文化祭にも参加できなかったと振り返っています。そのうえで、「できることなら両立したかったんですが、現実的に無理だったので」と、当時の決断を語りました。卒業後は、休んでいた分を補習で取り戻し、大学に進学しています。

卒業のときに「アナウンサーになる」と宣言

アナウンサーへの関心は、小学生のころからぼんやりと持っていたといいます。瀧山さんは、NMB48を卒業するときに、アナウンサーになるという目標を宣言しました。その思いが具体的な目標になったのは、大学に入ってからだと語っています(リアルサウンド)。

卒業後、ABEMAのアナウンサーになるまで

関西でローカルタレントとして活動

大学に進学したあと、2014年からローカルタレントとしての活動を再開しました。関西で、バラエティー番組のアシスタントやラジオ番組のMCなどを務めています(Wikipedia)。

キー局の試験に落ち、ABEMAの初代専属アナウンサーに

就職活動で、瀧山さんはキー局のアナウンサー試験を受けましたが、すべて不合格でした。リアルサウンドのインタビューで、新卒でしか受けられない試験だったため、そのときが「人生で一番どん底」だったと振り返っています。

ほかの会社から内定をもらっていたところに、通っていたアナウンススクールの先生から、AbemaTVが専属アナウンサーを募集していると教えられました。応募して採用され、アナウンサーになることと、東京で働くことの2つの目標が同時にかないました。本人は、その歩みを「ジェットコースターみたいな人生」と表現しています(リアルサウンド)。

2017年9月にAbemaTVの初代専属キャスターとして採用が発表され、2018年4月から本格的に活動を始めました(Wikipedia)。

現在の活動

ABEMAでは、競輪の中継番組「WINTICKET ミッドナイト競輪」の進行や、バラエティー番組「パーラーカチ盛り ABEMA店」などに出演しています(Wikipedia)。2025年には、ABEMAオリジナルの恋愛リアリティーショー『ラブパワーキングダム』にも出演しました(Wikipedia)。

2023年には、1st写真集『あかねのね』(宝島社)を発売しています(Wikipedia)。

まとめ

  • 瀧山あかねさんは、2011年にNMB48の2期生オーディションに合格し、研究生として活動しました。
  • 学業との両立が難しく、2011年12月に卒業。2012年1月のイベントが最後の活動でした。
  • 卒業のときに宣言した「アナウンサーになる」という目標を、キー局の試験に落ちたあと、AbemaTVの初代専属アナウンサーとしてかなえました。

関連記事


参考・出典