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アジア大会男子マラソン、山下一貴の金メダルを解説|どこで勝った?2時間10分台の理由と、日本の歴代金メダリスト


2026年9月26日に行われた愛知・名古屋アジア大会の男子マラソンで、山下一貴選手(三菱重工)が2時間10分49秒で金メダルを獲得しました。「自己ベストは2時間5分台なのに、なぜ2時間10分もかかったの?」「どこでスパートしたの?」「日本の金は何人目?」と気になった方も多いのではないでしょうか。

この記事では、日本陸上競技連盟(日本陸連)や各メディアが伝えた通過タイムをもとにレースの流れを整理し、あわせて日本の歴代金メダリストと、32年ぶりの国内開催の意味を振り返ります。

要点:30キロ過ぎと36キロ手前の2度の仕掛けで、2大会ぶりの金

  • 山下一貴選手が2時間10分49秒で優勝。日本勢は2018年の井上大仁選手以来2大会ぶりの金で、日本勢として7度目の金メダル、金メダリストとしては6人目。
  • 気温20度台前半で湿度の高い蒸し暑い条件と、ペースメーカーのいない「勝負レース」だったため、タイムは2時間10分台になった。
  • 30キロ過ぎの上り坂で仕掛けて3人に絞り、一度離されても追いつき、36キロ手前でインドのバルワル選手を振り切った。

結果:山下一貴が2時間10分49秒で金メダル

男子マラソンは、9月26日の午前7時30分に名古屋市瑞穂公園陸上競技場(パロマ瑞穂スタジアム)をスタートし、19人の選手が出場しました(THE ANSWER)。山下一貴選手は2時間10分49秒で優勝し、アジア大会の男子マラソンで日本勢として2018年ジャカルタ大会の井上大仁選手(三菱重工)以来、2大会ぶりの金メダルを獲得しました。

日本陸上競技連盟の資料によると、アジア大会の男子マラソンで日本勢はこれまで6回の金メダルを獲得しており(5人、君原健二選手が2回)、山下選手の金は7度目、6人目となります。山下選手にとっては、2023年の世界陸上ブダペスト大会以来の日本代表のレースでした。山下選手の経歴については「山下一貴(イチタカ)ってどんな選手? 長崎出身・駒大箱根2区3年連続、「イチタカスマイル」の理由とアジア大会金までの道のり」で紹介しています。歴代の金メダリストについては、この記事の後半で紹介しています。

もう一人の日本代表、吉田祐也は11位

もう一人の日本代表、吉田祐也選手(GMOインターネットグループ)は、15キロを過ぎてペースが上がったところで先頭集団から遅れました。日本陸連の途中経過によると、吉田選手は15キロを11位(47分36秒)で通過したあと、20キロでは14位に後退しています。スポーツ報知によると、30キロの時点では15位でした。月刊陸上競技によると、吉田選手は2時間18分33秒(速報値)の11位でした。デイリースポーツによると、ゴール直後には大粒の涙を流し、応援してくれた人への感謝と悔しさを口にしています。吉田選手は日本歴代4位の2時間5分16秒を持ち、MGCシリーズ男子の初代王者としてアジア大会の代表に選ばれていました(月陸Online)。

なぜ2時間10分台? タイムが遅く見える理由

山下選手の自己ベストは、2023年の東京マラソンで出した2時間5分51秒です。今回の優勝タイムは、それより約5分遅い記録でした。タイムが遅く見える理由は、大きく分けて「天候」と「レースの性質」の2つです。

スタート時は気温22〜24度、湿度78〜89%

スタート時の天候は、報道によって数字が少しずつ違います。THE ANSWERは「レース前は小雨。気温22度、湿度89%」、スポーツ報知は「スタート時は小雨で気温は23度」と伝えています。日刊スポーツは、TBS系の中継をもとに「スタート前のコンディションは曇り、気温24度、湿度78%」と伝えました。発表の時刻や測った場所によって違いが出たとみられますが、いずれにしても気温20度台前半で湿度の高い、蒸し暑い条件でした。マラソンで好記録が出やすいのは、気温が10度前後の涼しい日とされています。日本の主要なマラソン大会が冬から春に行われるのは、このためです。

気温20度を超え、湿度も高い条件では、汗が蒸発しにくく、体温が上がりやすくなります。体力の消耗が激しく、脱水やけいれんのリスクも高くなるため、選手は序盤から無理にペースを上げられません。9月下旬の名古屋で行われた今回のレースは、記録を狙うには厳しい条件でした。

記録ではなく順位を争う「勝負レース」

もう一つの理由は、アジア大会がタイムではなく順位を競う大会だということです。東京マラソンや大阪マラソンのような記録を狙う大会では、決まったペースで集団を引っ張る「ペースメーカー」がつき、30キロ付近まで一定の速いペースで進むのが一般的です。

一方、オリンピックや世界陸上、アジア大会のような選手権の大会には、ペースメーカーがいません。選手同士がけん制し合い、ペースが上がったり下がったりする「駆け引き」が起きます。今回も、序盤は10キロを31分28秒で通過するスローペースで、先頭が目まぐるしく入れ替わりました(スポニチ)。こうしたレースでは、最後に1位でゴールすることが最優先で、タイムは二の次になります。前回の杭州大会(2023年開催)でも、優勝タイムは2時間13分2秒でした(英語版ウィキペディア)。

原晋監督の解説「この湿度の中、このままゴールできるとは思えない」

テレビ中継で解説を務めた青山学院大学の原晋監督は、レース中に「この湿度の中、このままゴールできるとは思えない。何か後半、波乱が起きる」と予想していました(日刊スポーツ)。高い湿度のなかで、途中からペースが上がった展開を見て、後半に失速する選手が出ると読んでいたのです。

そのうえで原監督は、「その中で山下君が一番冷静に走っている。非常にいい走り」と山下選手を評価しました。実際に、レースは後半に大きく動き、先頭集団から選手が次々と脱落していきました。そのなかで最後まで崩れなかったのが山下選手でした。

5キロごとのレース展開

ここからは、日本陸上競技連盟が公式Xで公表した山下選手の通過記録と、各メディアの報道をもとに、レースを時系列で振り返ります。山下選手の5キロごとの通過タイムとラップ(その5キロにかかった時間)は次のとおりです。35キロと40キロの通過タイムは、THE DIGESTの報道による先頭の通過タイムで、そこからのラップは計算で出しています。

  • 5キロ:15分28秒(2位)
  • 10キロ:31分28秒(1位)/ラップ16分00秒
  • 15キロ:47分36秒(11位)/ラップ16分08秒
  • 20キロ:1時間2分35秒(1位)/ラップ14分59秒
  • 中間点:1時間5分54秒(1位)
  • 25キロ:1時間18分19秒(1位)/ラップ15分44秒
  • 30キロ:1時間34分39秒(1位)/ラップ16分20秒
  • 35キロ:1時間49分29秒/ラップ14分50秒
  • 40キロ:2時間4分17秒/ラップ14分48秒
  • フィニッシュ:2時間10分49秒(1位)

この数字を見ると、ペースが大きく上がったのは「15〜20キロ」と「30〜40キロ」の2つの区間だったことが分かります。

序盤(〜15キロ):豊配友が引っ張る。10キロは31分28秒のスローペース

スタート直後に前に出たのは、2時間5分58秒の記録を持つ中国の豊配友選手でした。THE DIGESTによると、最初の1キロは約3分2秒で通過し、5キロは15分27秒でした。山下選手は集団の2〜3番手、吉田選手は集団の中ほどにつけました。

5キロを過ぎると、カザフスタンのシャドラック・コエチ選手が前に出るなど、先頭が目まぐるしく入れ替わりました。9キロ付近では山下選手が先頭に立ち、10キロを31分28秒で通過しています(TBS NEWS DIG)。1キロあたり3分9秒前後のこのペースは、2時間5分台の記録を持つ選手にとってはかなりゆっくりしたペースです。THE ANSWERによると、15キロはインドネシアのロビ選手が先頭で47分34秒で通過し、スポーツ報知によると、先頭集団は16人ほどでした。

16〜20キロ:急にペースが上がり、吉田祐也が遅れる。先頭は6人に

レースが最初に動いたのは、15キロを過ぎた給水ポイント付近でした。中国の豊配友選手が再び先頭に出てペースを急激に上げ、集団がばらけ始めました。15〜20キロのラップは14分59秒で、それまでの5キロより1分以上速くなっています。

この急なペースアップで、吉田祐也選手は集団から引き離されました。山下選手は一時4番手まで下がりましたが、先頭集団に食らいつきます。20キロを1時間2分35秒で通過した時点で、先頭集団は山下選手を含む6人に絞られました(スポーツ報知、THE ANSWER)。中間点は1時間5分54秒で、ここで豊配友選手が後退し、インドのサワン・バルワル選手が前に出ました(THE DIGEST)。

スポーツ報知によると、30キロ付近では後ろからインドネシアの選手が追いつき、先頭集団は7人になりました。25〜30キロのラップは16分20秒と再び落ち着き、選手たちは勝負どころを探りながら30キロ(1時間34分39秒)を通過しました。

30〜35キロ:山下が上り坂で仕掛ける。ハンとバルワルに一度離されるが追いつく

30キロを過ぎると、先頭に立っていた山下選手が上り坂で仕掛けました。スパートした地点は、報道によって「30キロ地点の上り坂」(デイリースポーツ)、「31.5キロ過ぎの上り坂」(THE DIGEST)と表現が少し違いますが、30キロを過ぎた直後の上り坂という点は共通しています。この仕掛けで集団はばらけ、優勝争いは山下選手、ハン・イルリョン選手、サワン・バルワル選手の3人に絞られました。

しかし、ここで勝負が決まったわけではありませんでした。33キロ手前で、今度はハン選手がペースを上げ、バルワル選手がこれに続きました。山下選手は少し離されて3番手となり、一時は2人に置いていかれそうになっています(TBS NEWS DIG、スポーツ報知)。

それでも山下選手は落ち着いて差を詰め、スポーツ報知によると34キロ過ぎに2人に追いついて前に出ました。30〜35キロのラップは14分50秒で、この5キロで一気にペースが上がったことが分かります。この厳しいペースのなかで、今度はハン選手が遅れ始め、優勝争いは山下選手とバルワル選手の一騎打ちになりました。

36キロ手前:バルワルを振り切って独走。40キロでは約100メートル差

決着は早くつきました。山下選手は36キロ手前でバルワル選手を振り切り、リードを奪いました(スポニチ、THE DIGEST)。報道によって「35キロ付近」「37キロ手前」という表現もありますが、35キロで3人が並び、35キロを過ぎてハン選手が遅れ、36キロ手前で山下選手が抜け出した、という流れで整理すると、各報道の内容がつながります。

35〜40キロのラップは14分48秒で、30キロ以降、山下選手はペースを落とさずに走り続けました。デイリースポーツによると、40キロ地点ではバルワル選手に約100メートルの差をつけていました。39キロ付近では苦しそうな表情を見せる場面もありましたが(TBS NEWS DIG)、最後まで独走を続けました。

THE ANSWERによると、競技場に戻ってくると、山下選手は帽子を取って大歓声に応え、先頭でゴールしました。ゴール後にはスタンドに向かって一礼し、トレードマークの「イチタカスマイル」を見せています。2023年の世界陸上では38キロ地点で脚がけいれんして失速しましたが、今回は終盤まで力強い走りを保ちました。

コースの特徴:瑞穂から名城公園への周回コース

アジア大会のマラソンコースは、名古屋市瑞穂区のパロマ瑞穂スタジアム(瑞穂公園陸上競技場)を発着点とする、1周約20キロの周回コースです。月刊陸上競技によると、スタジアムを出たあと瑞穂運動場西交差点を右折してコースに入り、名古屋ウィメンズマラソンでも使われる環状線を北上します。内山町交差点を左折し、名古屋テレビ塔の近くにある桜通大津交差点を右折すると、名城公園交差点で折り返し、再び瑞穂運動場西交差点へ戻ります。

コースは名古屋市役所の前を通り、名城公園の交差点で折り返します。周回コースのため、沿道の観客は同じ場所で選手を複数回見ることができました。

上り坂がある場所と、勝負を分けたポイント

月刊陸上競技によると、コース全体の起伏は少ないものの、名古屋市役所の前に緩やかなアップダウンがあり、レース展開の鍵になるポイントと予想されていました。

起伏の少ないコースのなかで、わずかな上り坂をスパートの場所に選んだことが、集団をばらけさせるきっかけになりました。そのうえで、一度離されても慌てずに追いつき、35キロ以降の2度目の勝負で抜け出したことが、勝負を分けたポイントだったといえます。

ライバルたちは誰?

日本陸上競技連盟は、大会前の展望で、中国の豊配友選手、北朝鮮のハン・イルリョン選手、バーレーンのS・デチャサ選手などを有力なライバルとして紹介していました。実際のレースで山下選手と最後まで争ったのは、次の3人です。

ハン・イルリョン(北朝鮮、前回大会の銀)、サワン・バルワル(インド)、豊配友(中国)

ハン・イルリョン選手(北朝鮮)は、前回の杭州大会(2023年開催)の男子マラソンで、2時間13分27秒の2位に入った銀メダリストです。日本陸連によると、自己ベストは2時間9分42秒ですが、2025年のアジアマラソン選手権で優勝しています。杭州大会では、中国の何杰選手が2時間13分2秒で優勝し、日本勢は定方俊樹選手が4位、池田耀平選手が6位でメダルを逃していました。今回のレースでもハン選手は33キロ手前で自らペースを上げるなど、積極的に優勝を狙いましたが、35キロ過ぎに山下選手とバルワル選手のペースについていけなくなりました。

サワン・バルワル選手(インド)は、20キロ過ぎに前に出てレースを動かし、最後まで山下選手と優勝を争った選手です。スポニチは終盤を「バルワルとの一騎打ち」と表現しています。

豊配友選手(中国)は、2026年3月の東京マラソンで2時間5分58秒の中国新記録を出した、中国のトップランナーです(日本陸連)。スタート直後から集団を引っ張り、15キロ過ぎには急にペースを上げて集団を絞り込むなど、レース前半の主役となりました。しかし、中間点付近で後退し、優勝争いには加われませんでした。

山下一貴の金は、日本勢で7度目・6人目

日本陸連が大会前に公開した資料「記録と数字で楽しむアジア大会」によると、アジア大会の男子マラソンで日本勢が獲得した金メダルは、名古屋大会の前の時点で6個でした。内訳は次のとおりです。

年 開催地 金メダリスト 記録
1962年 ジャカルタ(インドネシア) 長田正幸 2時間34分54秒2
1966年 バンコク(タイ) 君原健二 2時間33分23秒
1970年 バンコク(タイ) 君原健二 2時間21分3秒
1978年 バンコク(タイ) 阪本峰照 2時間15分29秒7
1986年 ソウル(韓国) 中山竹通 2時間8分21秒
2018年 ジャカルタ(インドネシア) 井上大仁 2時間18分22秒
2026年 愛知・名古屋(日本) 山下一貴 2時間10分49秒

(1986年の記録は日本陸連の資料、それ以外の過去の記録は英語版ウィキペディアの各大会のページによる)

名古屋大会までの6個の金は、5人の選手によるものです。君原健二選手が1966年と1970年に連覇しているため、金メダルの数と選手の数が1つずれています。山下選手の金は、日本勢として「7度目」の金メダルで、金メダリストとしては「6人目」となります。

「5人目」「7人目」と報道で数え方が違う理由

報道によって数字が違って見えるのは、「金メダルの数(何度目)」と「金メダリストの人数(何人目)」という、2つの異なる数え方が混ざっているためです。デイリースポーツやTBS NEWS DIGは「7度目」と金メダルの数で伝えており、これは日本陸連の資料と一致します。

一方、THE ANSWERは「日本勢では2018年ジャカルタ大会の井上大仁以来、5人目の快挙」、THE DIGESTは「日本勢2大会ぶり7人目の金メダル」と伝えています。日本陸連の資料に沿って数えると、山下選手は「6人目」です。「7人目」は、金メダルの数(7度目)と人数を取り違えた可能性があります。「5人目」については、どのような数え方をしたのかは記事からは分かりません。

検索して調べる場合や、人に話す場合には、「日本勢7度目の金メダル、金メダリストとしては6人目」と覚えておくと正確です。なお、日本陸連の資料によると、アジア大会の男子マラソンで個人として連覇を果たしたのは、君原健二選手と、1998年・2002年に連覇した韓国の選手の2人だけです。また、同じ国の選手による金・銀の独占は、1966年・1970年・1986年の日本の3回だけで、ほかの国は達成していません。

アジア大会男子マラソン、日本の歴代金メダリスト

アジア大会は、1951年にインドのニューデリーで第1回大会が開かれた、アジア最大の総合スポーツ大会です。男子マラソンで日本は長く強さを見せてきました。日本陸連の資料によると、男子マラソンは1954年と1974年の大会では実施されていません。月刊陸上競技によると、日本は実施された大会では2018年のジャカルタ大会まで毎回メダルを獲得してきました。名古屋大会の前までの日本のメダルは金6、銀11、銅4です。

1962年 長田正幸、1966年と1970年 君原健二(連覇)

日本勢として初めてアジア大会の男子マラソンを制したのは、1962年のジャカルタ大会の長田正幸選手です。記録は2時間34分54秒2で、2位のパキスタンの選手(2時間43分2秒0)に8分以上の大差をつけての優勝でした。

1966年と1970年には、いずれもタイのバンコクで開かれた大会で、君原健二選手が連覇を果たしました。1966年は2時間33分23秒で優勝し、2位にも日本の重松森雄選手が入って日本勢がワンツーを飾りました。1970年は2時間21分3秒で優勝し、このときも2位は日本の三船好郎選手でした。

君原選手は、1941年生まれ、福岡県小倉市(現・北九州市)出身のランナーです(Wikipedia)。八幡製鐵に所属し、1964年東京五輪で8位、1968年メキシコシティー五輪で銀メダル、1972年ミュンヘン五輪で5位と、3大会連続で五輪に出場しました。1966年にはボストンマラソンでも優勝しています。アジア大会の連覇は、日本のマラソンの歴史のなかでも特別な記録です。

1978年 阪本峰照、1986年 中山竹通

1978年のバンコク大会では、阪本峰照選手が2時間15分29秒7で優勝しました。この記録は当時の大会記録でした。2位と3位には北朝鮮の選手が入っており、2位との差は30秒足らずでした。

1986年のソウル大会で優勝したのが、中山竹通選手です。長野県出身の中山選手は、富士通長野工場やダイエーの陸上部で走り(Wikipedia)、1988年ソウル五輪と1992年バルセロナ五輪でいずれも4位に入った、日本マラソン界を代表するランナーです。ソウルのアジア大会では2時間8分21秒で優勝し、2位にも日本の谷口浩美選手が入りました。

中山選手の2時間8分21秒は、日本陸連の資料によると、現在もアジア大会男子マラソンの大会記録として残っています。1986年から40年がたった名古屋大会でも、この記録は破られませんでした。

2018年 井上大仁(ジャカルタ)

中山選手の優勝のあと、日本勢はアジア大会の男子マラソンで長く金メダルから遠ざかりました。日本陸連の資料によると、1990年北京、1994年広島、1998年バンコクでは銀、2002年釜山では銀と銅、2006年ドーハでは銅、2010年広州では銀、2014年仁川では銀と銅と、メダルは獲得しながらも頂点には届かない大会が続きました。

その流れを止めたのが、2018年のジャカルタ大会の井上大仁選手です。2018年8月25日に行われたレースでは、終盤にバーレーンのエルハサン・エラバッシ選手との競り合いとなり、最後は井上選手が競り勝ちました。記録はともに2時間18分22秒で、同タイムの決着でした(英語版ウィキペディア)。

井上選手の金は、1986年の中山竹通選手以来、32年ぶりの日本勢の優勝でした。この大会では、日本の園田隼選手も2時間19分4秒で4位に入っています。

三菱重工の先輩から後輩へ:井上大仁と山下一貴

2018年の井上大仁選手と2026年の山下一貴選手は、同じ三菱重工マラソン部の先輩と後輩です。三菱重工マラソン部は長崎を拠点とするチームで、Wikipediaによると、井上選手、山下選手ともに長崎県の出身と、2人とも地元・長崎の出身です。

井上選手は1993年生まれで、長崎の鎮西学院高校から山梨学院大学に進み、卒業後にこのチームに入りました。一方の山下選手は1997年生まれで、長崎の瓊浦高校から駒澤大学に進み、2020年に同じチームに入っています。山下選手が入社した時点で、井上選手はすでにアジア大会の金メダリストでした。

同じチームからは、前回の杭州大会でも定方俊樹選手が男子マラソンの日本代表として出場し、4位に入っています。チームを率いる黒木純監督は、2022年に山下選手が杭州大会の代表に選ばれた際、2014年の松村康平選手、2018年の井上選手に続く「3大会連続のアジア大会代表輩出」だとして、「金メダルを勝ち取りパリ五輪につながる走りを見せてほしい」とコメントしていました(三菱重工の発表)。山下選手はこのとき、大会の延期によって代表内定が解除されましたが、4年後の名古屋で先輩に続く金メダルを手にしました。

前回・杭州大会(2022年)の男子マラソンでは何があった?

前回のアジア大会は、中国の杭州で開かれた「杭州2022アジア競技大会」です。大会名には「2022」とついていますが、新型コロナウイルスの影響で1年延期となり、実際には2023年に開催されました。男子マラソンは2023年10月5日に行われています。

日本勢の結果と、ハン・イルリョンの銀

杭州大会の男子マラソンは、中国勢が1位と3位を占める結果となりました。上位の結果は次のとおりです。

  • 1位:何杰(中国)2時間13分2秒
  • 2位:ハン・イルリョン(北朝鮮)2時間13分27秒
  • 3位:楊紹輝(中国)2時間13分39秒
  • 4位:定方俊樹(日本、三菱重工)2時間13分51秒
  • 6位:池田耀平(日本、Kao)2時間15分4秒

月刊陸上競技によると、定方選手は30キロを過ぎて一度遅れながらも先頭集団に戻りましたが、35キロの給水のあとのペースアップに対応できませんでした。それでも「絶対に必ずチャンスは来る」と粘り、4位でゴールしています。池田選手は6位でした。

この結果、日本は2連覇を逃しただけでなく、月刊陸上競技によると、マラソンが実施されなかった大会を除いて、初めて男子マラソンでメダルを獲得できない大会となりました。日本のアジア大会男子マラソンの歴史のなかで、大きな節目となる敗戦でした。

このレースで銀メダルを獲得したのが、北朝鮮のハン・イルリョン選手です。ハン選手は名古屋大会にも出場し、30キロ過ぎに自らペースを上げて山下選手を一時引き離しましたが、35キロ付近で遅れました。前回大会でメダルを逃した日本にとって、名古屋での山下選手の金は、杭州の雪辱を果たす結果となりました。

32年ぶりの国内開催:1994年広島大会から今回まで

愛知・名古屋大会は、日本で開かれる3回目のアジア大会です。日本では、1958年に東京で第3回大会、1994年に広島で第12回大会が開かれており、今回は広島大会から32年ぶりの国内開催となりました。

英語版ウィキペディアによると、1958年の東京大会の男子マラソンでは、韓国の李昌薫選手が優勝し、日本の貞永信義選手が銅メダルを獲得しました。1994年の広島大会では、1992年バルセロナ五輪の金メダリストである韓国の黄永祚(ファン・ヨンジョ)選手が2時間11分13秒で優勝し、日本の早田俊幸選手が2時間11分57秒で銀メダルでした。つまり、過去2回の国内開催のアジア大会では、日本勢は男子マラソンで金メダルを取れていませんでした。

32年ぶりの国内開催となった名古屋大会で、山下選手は日本のアジア大会の歴史で初めて、国内開催の男子マラソンを制した日本人選手となりました。レースは名古屋市瑞穂公園陸上競技場を発着点に、名城公園へ向かう周回コースで行われ、沿道からの声援を受けた山下選手は、ゴール後にスタンドへ一礼して応えました。山下選手のプロフィールは「山下一貴(イチタカ)ってどんな選手? 長崎出身・駒大箱根2区3年連続、「イチタカスマイル」の理由とアジア大会金までの道のり」で紹介しています。

名古屋大会の男子マラソンは、中山竹通選手が1986年に出した大会記録(2時間8分21秒)には届きませんでしたが、気温20度台前半で湿度の高い条件の中での2時間10分49秒は、表の歴代の日本の金メダリストの記録の中では、中山選手に次ぐ2番目の速さです。コースや気象条件が大会ごとに違うため、単純には比べられない点には注意が必要です。

まとめ

  • 山下一貴選手が2時間10分49秒で金メダル。日本勢として2大会ぶり7度目の金で、金メダリストとしては6人目です。吉田祐也選手は11位でした。
  • タイムが2時間10分台だったのは、蒸し暑い気象条件と、順位を争う勝負レースだったためです。
  • 30キロ過ぎの上り坂で仕掛けて優勝争いを3人に絞り、33キロで一度離されても追いつき、36キロ手前で抜け出しました。30〜40キロを5キロ14分50秒前後で走り続けた粘りが勝因です。
  • 日本の歴代金メダリストは、長田正幸、君原健二(連覇)、阪本峰照、中山竹通、井上大仁、山下一貴。井上選手と山下選手は、ともに長崎出身で三菱重工の先輩と後輩です。
  • 32年ぶりの国内開催で、山下選手は国内開催のアジア大会の男子マラソンで初めて優勝した日本人選手になりました。

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参考・出典