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アジア大会女子マラソン、矢田みくにの銅メダルを解説|22キロの転倒から先頭へ、佐藤早也伽4位と日本の歴代メダル


2026年9月26日に行われた愛知・名古屋アジア大会の女子マラソンで、矢田みくに選手(エディオン)が2時間27分56秒で銅メダルを獲得しました。22キロ過ぎに先頭集団の中で転倒した場面に驚き、「なぜ転んだの?」と心配になった方や、「日本女子の金はいつ以来なの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。

この記事では、転倒の場面とレース全体の流れを振り返り、あわせて日本女子のアジア大会マラソンの歴史と、4位の佐藤早也伽選手の言葉を紹介します。

要点:転倒にも負けず銅メダル。日本女子は2大会ぶりのメダル

  • バーレーンのハブテ選手が2時間27分31秒で金、矢田みくに選手が2時間27分56秒で銅、佐藤早也伽選手が4位。日本女子のメダルは2018年以来2大会ぶり。
  • 矢田選手は22キロ過ぎに前の選手の転倒に巻き込まれたが、すぐに立ち上がって集団に戻り、再び先頭でレースを引っ張った。
  • 日本女子のアジア大会マラソンの金は、1986年の浅井えり子さんと1998年の高橋尚子さんの2回だけ。

結果:ハブテが金、矢田みくに銅、佐藤早也伽4位

女子マラソンは、9月26日の午前7時50分に名古屋市瑞穂公園陸上競技場(パロマ瑞穂スタジアム)をスタートしました。男子のスタートから20分後で、スポニチアネックスによると小雨の中、18人の選手が出場しました。デイリースポーツによると、名古屋は雨が降りしきり、路面が濡れた状態でのレースになりました。

優勝したのはバーレーンのS.ハブテ選手で、2位は中国の次仁措姆選手でした。矢田選手は3位で銅メダル、もう一人の日本代表の佐藤早也伽選手(積水化学)は4位でした。日本の女子マラソンのメダルは、2018年ジャカルタ大会で銀メダルを獲得した野上恵子選手以来、2大会ぶりです。男子の山下一貴選手(三菱重工)の金とあわせて、日本は男女そろってメダルを獲得しました。矢田選手のプロフィールは「矢田みくにってどんな選手? 熊本出身、初マラソン日本最高2時間19分57秒の「二刀流」ランナーが転倒を乗り越えて銅メダル」で紹介しています。

上位4人の記録(2時間27分31秒〜2時間28分14秒)

報道で伝えられた上位4人の記録は、次のとおりです(TBS NEWS DIG、スポニチアネックス)。

順位 選手 国 記録
1位(金) S.ハブテ バーレーン 2時間27分31秒
2位(銀) 次仁措姆 中国 2時間27分43秒
3位(銅) 矢田みくに 日本(エディオン) 2時間27分56秒
4位 佐藤早也伽 日本(積水化学) 2時間28分14秒

1位から4位までの差はわずか43秒で、最後まで接戦でした。矢田選手と金メダルのハブテ選手の差は25秒です。日本女子として、1998年バンコク大会の高橋尚子さん以来28年ぶりとなる金メダルには届きませんでした(スポニチアネックス)。5位以下の選手の結果は、執筆時点では確認できていません。

転倒は22キロ過ぎ:何が起きたか

レース中に最も大きな注目を集めたのが、22キロ過ぎの転倒でした。THE DIGESTによると、中間点を1時間16分39秒で通過した直後、先頭集団の中で矢田選手が転倒しました。

前を走るバーレーンのチェリモ選手が転倒し、巻き込まれた

当時の先頭集団は8人ほどで、雨が降る中、選手たちは密集して走っていました(THE ANSWER、デイリースポーツ)。スポニチアネックスによると、22キロ過ぎに前を走っていたバーレーンのローズ・チェリモ選手が転倒し、矢田選手も巻き込まれる形で転倒しました。デイリースポーツは「バーレーンの選手が先に転倒。そこに接触する形となって倒れ込んでしまった」と伝えており、

一方、THE ANSWERは「集団内で前を走る海外選手と矢田の足が接触したのか、2人が転倒」と報じています。どちらが先に倒れたのか、足が接触したのかどうかについては、報道によって表現が少し違います。いずれにしても、前を走る選手の転倒と接触によって、矢田選手が巻き込まれたという点は共通しています。

なお、チェリモ選手は2017年の世界選手権(ロンドン)の女子マラソンで金メダル、2018年のジャカルタ・アジア大会でも金メダルを獲得した実績のある選手です(Wikipedia英語版による)。ジャカルタ大会で2位だったのが、日本の野上恵子選手でした。チェリモ選手の今大会の最終順位は、執筆時点では確認できていません。

高橋尚子さんの解説「スローペースで固まると巻き込まれることがある」

TBS系の中継で解説を務めたのは、2000年シドニー五輪の金メダリストで、1998年のアジア大会でも金メダルを獲得した高橋尚子さんです。転倒の場面で、高橋さんは次のように話しました(THE ANSWERによる)。

「集団がどうしてもスローペースになって固まっている。ペースが上がったり下がったり、そのたびに走りの切り替えがあり、フォームが変わると巻き込まれることがある」

この解説は、転倒が起きた理由をよく表しています。ペースが速いレースでは、集団は縦に長くなり、選手同士の間隔が空きます。一方、今回のようなスローペースのレースでは、選手が横に広がって密集しやすくなります。さらに、ペースが上がったり下がったりするたびに、選手は歩幅やリズムを変えるため、前後の選手の足が接触しやすくなります。この日は雨で路面が濡れていたことも、転倒の危険を高める条件の一つでした。

すぐに起き上がり、集団に戻る。けがの情報は

転倒したあと、矢田選手はすぐに立ち上がり、大きく遅れることなく先頭集団の後方に戻りました(デイリースポーツ)。THE ANSWERは「大きな故障はなかったようで、すぐに立ち上がって集団に復帰した」と伝えています。

転倒後もペースを上げて先頭を引っ張り、ゴールまで走り切ったことから、レースを続けられないほどの影響はなかったとみられます。

5キロごとのレース展開

ここからは、THE DIGESTが伝えた先頭の通過タイムをもとに、レースの流れを振り返ります。先頭の通過タイムと5キロごとのラップ(その5キロにかかった時間)は次のとおりです。

  • 5キロ:18分18秒
  • 10キロ:36分42秒(ラップ18分24秒)
  • 15キロ:55分15秒(ラップ18分33秒)
  • 20キロ:1時間12分50秒(ラップ17分35秒)
  • 中間点:1時間16分39秒
  • 25キロ:1時間30分09秒(ラップ17分19秒)
  • 30キロ:1時間47分06秒(ラップ16分57秒)
  • 35キロ:2時間3分50秒(ラップ16分44秒)
  • フィニッシュ(優勝):2時間27分31秒

15キロまでは5キロ18分台のゆっくりしたペースで、そこから少しずつペースが上がっていったことが分かります。

序盤:佐藤が引っ張るスローペース(5キロ18分18秒、10キロ36分42秒)

スタート直後は、誰も前に出たがらない展開になりました。THE DIGESTによると、佐藤早也伽選手が前に出て、最初の1キロは約3分46秒で通過しました。5キロは18分18秒で、このペースのままゴールすると2時間34分台になる、とてもゆっくりしたペースです。

7キロ付近では、スローペースを嫌った中国の次仁措姆選手がペースを上げ、バーレーンのハブテ選手やチェリモ選手、北朝鮮のパク・ソルギョン選手らが追いました。中国の呉氷選手が引っ張る場面もありましたが、ペースは安定せず、再び佐藤選手が前に出る場面もありました。10キロは佐藤選手が先頭で36分42秒で通過しています。15キロは、インドネシアのオデクタ・エルヴィナ・ナイバホ選手が前に出て55分15秒で通過しました。

17キロ手前:矢田が中央分離帯ぎりぎりを抜けて仕掛け、8人に

レースが最初に大きく動いたのは、17キロ手前でした。それまで先頭集団の後方で前方の動きをうかがっていた矢田選手が、一気にペースを上げて先頭に立ちました。日刊スポーツによると、矢田選手は外側からではなく、中央分離帯すれすれのところをするすると抜けて、一気にトップに出ました。

この仕掛けに、チェリモ選手や佐藤選手らは反応しましたが、ナイバホ選手らは遅れました(THE DIGEST)。デイリースポーツによると、10人の先頭集団から2人が遅れて8人になりました。15〜20キロのラップは17分35秒で、それまでの5キロより約1分速くなっています。矢田選手はそのまま集団を引っ張り、20キロ過ぎは矢田選手が首位で通過し、佐藤選手が1秒遅れで続きました(日刊スポーツ)。この直後、22キロ過ぎで転倒が起きました。

27キロ:転倒のあと、再び先頭へ。30キロで4人、35キロで3人に

転倒から集団に戻った矢田選手は、しばらく集団の中で走り、呼吸を整えました。25キロは1時間30分9秒で通過し、その直後にチェリモ選手が飛び出しましたが、集団は崩れませんでした(THE DIGEST)。

27キロ過ぎ、矢田選手は再び先頭に立ってペースを上げ、集団をばらけさせました(スポニチアネックス、THE DIGEST)。28キロの給水ポイントでは給水を取らず、走ることに集中しています(デイリースポーツ)。25〜30キロのラップは16分57秒と、この日初めて17分を切りました。30キロを1時間47分6秒で通過した時点で、佐藤選手は後退し(THE DIGEST)、先頭は矢田選手を含む4人になりました(デイリースポーツ)。

35キロ過ぎの給水地点で、矢田選手はかぶっていた帽子を投げ捨てました(スポニチアネックス)。30〜35キロのラップは16分44秒で、さらにペースが上がっています。ここで優勝争いは、ハブテ選手、次仁措姆選手、矢田選手の3人に絞られました。

37〜38キロ:ハブテのスパートについていけず3位

勝負が決まったのは、終盤の37〜38キロでした。バーレーンのハブテ選手がスパートし、矢田選手はついていけませんでした。スパートした地点は、スポニチアネックスとTBS NEWS DIGが「37キロ過ぎ」、デイリースポーツが「38キロ付近」と伝えています。

その後、次仁措姆選手にも前に出られ、矢田選手は3番手に後退しました。苦しい表情を浮かべながらも、2時間27分56秒の3位でゴールしました。佐藤選手は18秒差の4位でした。デイリースポーツによると、ゴール後、4位の佐藤選手から祝福された矢田選手は笑顔を見せ、日の丸を掲げました。

なぜ2時間27分台? 雨と「けん制」のレース

矢田選手は、2026年1月の大阪国際女子マラソンで、初マラソン日本最高となる2時間19分57秒を記録しています。それと比べると、今回の2時間27分56秒は約8分遅い記録です。優勝タイムも2時間27分31秒でした。タイムが遅くなった理由は、大きく分けて2つあります。

一つ目は、天候です。レースは小雨の中でスタートし、途中からは雨が降りしきる中で行われました。濡れた路面では足が滑りやすく、選手は慎重な走りを求められます。女子のスタート時の正確な気温・湿度は確認できていませんが、20分前にスタートした男子のレースでは、気温20度台前半で湿度の高い蒸し暑い条件だったと報じられています。9月下旬の名古屋は、記録を狙うには厳しい条件でした。

二つ目は、レースの性質です。アジア大会のような選手権の大会では、記録よりも順位が争われます。選手たちはお互いの出方をうかがいながら走るため、前半はペースが上がりにくくなります。今回も、最初の15キロは5キロ18分台という、日本のトップ選手にとってはかなりゆっくりしたペースで進みました。矢田選手も、レース後に「みんな順位を狙うレースなのでゆっくりけん制する展開」と振り返っています(デイリースポーツ)。後半は5キロ16分台までペースが上がりましたが、前半のスローペースが全体のタイムを押し下げる形になりました。

矢田のコメント「ペースを上げるならちゅうちょなく」

レース後、矢田選手は「金メダルを目指していたので、ちょっと悔しさと、準備不足がレースに出てしまったかなと思います」と振り返りました(スポニチアネックス)。銅メダルを獲得しながらも、目標にしていた金メダルに届かなかった悔しさをにじませています。

一方で、「積極的に自分らしく後先考えずに走れたので、展開的には悔いのないレースができたかなと思います」とも話しました。17キロ手前と27キロ過ぎに、自分から前に出た走りについては、「私はラストスパートに自信がなかったので、(ペースを)上げるならちゅうちょせずに上げようと思って上げました」と説明しています。デイリースポーツには、「みんな順位を狙うレースなのでゆっくりけん制する展開。ペースをあげるならちゅうちょなく」と語りました。

つまり、矢田選手の積極的な走りは、最後のスパート勝負になると不利になるという、自分の特徴を理解したうえでの作戦でした。転倒のあとも、その作戦を変えずに27キロ過ぎで再び前に出たことが、メダルにつながったといえます。矢田選手は最後に「オリンピックの第一歩と思って挑めました」と話し、2028年ロサンゼルス五輪を見据えました。

一方、4位の佐藤選手は「最低でも3位以内でメダル獲得を目指していたので、そこに届かなかったことが凄く悔しい」と話し、「(MGC目指して)そこを目標にもう一度、イチから取り組んでいけたら」と、次の目標を語っています(スポニチアネックス)。

日本女子のアジア大会マラソン、金は2回だけ

アジア大会で女子マラソンが初めて行われたのは、1986年のソウル大会です。日本陸上競技連盟(日本陸連)の資料によると、それから名古屋大会の前までの10大会で、日本女子が獲得した金メダルは2個だけでした。

日本の女子マラソンは、1992年バルセロナ五輪の有森裕子さんの銀、2000年シドニー五輪の高橋尚子さん、2004年アテネ五輪の野口みずきさんの金など、オリンピックで多くのメダルを獲得してきました。そのため、アジア大会でも金メダルを量産してきた印象を持つ人もいるかもしれません。しかし実際には、アジア大会の女子マラソンで日本が金メダルを獲得したのは、1986年と1998年の2回だけです。

1986年ソウル 浅井えり子、1998年バンコク 高橋尚子(大会記録2時間21分47秒)

最初の金メダリストは、1986年ソウル大会の浅井えり子さんです。記録は2時間41分3秒で、2位にも日本の宮原美佐子さん(2時間41分36秒)が入り、日本勢がワンツーを飾りました(Wikipedia英語版による)。アジア大会で初めて行われた女子マラソンを、日本が制したことになります。

2人目の金メダリストが、1998年バンコク大会の高橋尚子さんです。高橋さんは2時間21分47秒で優勝し、2位の北朝鮮の選手(2時間34分55秒)に13分以上の大差をつけました(英語版ウィキペディア)。日本陸連の資料によると、この2時間21分47秒は、今もアジア大会の女子マラソンの大会記録として残っています。高橋さんはこの2年後の2000年シドニー五輪で金メダルを獲得しました。この大会では、日本の甲斐智子さんも3位に入っています。

今回の名古屋大会では、優勝したバーレーンのS.ハブテ選手の記録が2時間27分31秒でした。高橋さんが28年前に出した大会記録は、今回も破られませんでした。今回の大会のTBS系の中継で解説を務めたのも、高橋尚子さんでした(THE ANSWER)。

通算は金2・銀6・銅4(名古屋大会の前まで)

日本陸連の資料によると、名古屋大会の前までに日本女子がアジア大会のマラソンで獲得したメダルは、金2個、銀6個、銅4個の合計12個です。Wikipedia英語版の各大会の結果と照らし合わせると、大会ごとの日本のメダリストは次のとおりです。

年 開催地 金 銀 銅
1986年 ソウル 浅井えり子 宮原美佐子 -
1990年 北京 - 荒木久美 -
1994年 広島 - - 藤村信子
1998年 バンコク 高橋尚子 - 甲斐智子
2002年 釜山 - 弘山晴美 大南博美
2006年 ドーハ - 嶋原清子 小幡佳代子
2010年 広州 - - -
2014年 仁川 - 木崎良子 -
2018年 ジャカルタ - 野上恵子 -
2023年 杭州 - - -
2026年 愛知・名古屋 - - 矢田みくに

この表を見ると、日本女子は銀メダルが多く、あと一歩で金に届かなかった大会が続いてきたことが分かります。英語版ウィキペディアによると、優勝した国は、1990年と1994年、2006年、2010年は中国、2002年は北朝鮮、2014年と2018年、2023年はバーレーンの選手でした。今回の名古屋大会でも、バーレーンのハブテ選手が優勝しています。

名古屋大会の矢田選手の銅メダルで、日本女子の通算メダルは金2個、銀6個、銅5個の13個となりました。一方で、金メダルは1998年の高橋さんから28年間、獲得できていません。

2018年の野上恵子の銀、2023年の杭州はメダルなし

今回の矢田選手の銅メダルは、2018年ジャカルタ大会の野上恵子さん以来、2大会ぶりの日本女子のメダルです。

2018年のジャカルタ大会では、野上恵子さんが2時間36分27秒で銀メダルを獲得しました。優勝したのは、バーレーンのローズ・チェリモ選手(2時間34分51秒)です。

前回の杭州大会(2023年開催)では、日本女子はメダルを逃しました。Wikipedia英語版によると、優勝はバーレーンのユニス・チュンバ選手(2時間26分14秒)で、日本の大西ひかり選手が2時間30分6秒で5位、和久夢来選手が13位でした。杭州大会は、日本女子がアジア大会の女子マラソンでメダルを取れなかった2回目の大会で、1回目は2010年の広州大会(嶋原清子選手の5位が最高)でした。

杭州大会では男子も定方俊樹選手の4位が最高で、日本は男女ともにマラソンでメダルを逃していました(男子の歴史は「アジア大会男子マラソン、日本の金は何人目? 君原健二から井上大仁、山下一貴まで歴代の金メダリストと「32年ぶり国内開催」を振り返る」で紹介しています)。それだけに、名古屋大会で男子の山下一貴選手の金と、女子の矢田選手の銅がそろったことは、日本のマラソン界にとって大きな意味を持つ結果でした。

「40年ぶり男女アベックV」はならず、でも男女でメダル

今回、報道で使われた「アベックV」は、同じ大会で男子と女子の両方が優勝することを意味する言葉です。スポーツ報知は、「1986年ソウル大会(中山竹通、浅井えり子)以来、40年ぶりとなる男女アベックVはならなかったが、2大会ぶりにアベックメダルとなった」と伝えています。

1986年の中山竹通・浅井えり子以来の快挙を逃した意味

1986年のソウル大会では、男子の中山竹通さんが2時間8分21秒で、女子の浅井えり子さんが2時間41分3秒で優勝し、日本は男女そろって金メダルを獲得しました。中山さんの記録は、今もアジア大会の男子マラソンの大会記録です。この年が、アジア大会で女子マラソンが初めて行われた年でもあったため、日本の男女アベック優勝は、女子マラソンの歴史の最初の大会で達成されたことになります。

その後、日本は男女のどちらかが金メダルを獲得することはあっても、同じ大会で男女ともに優勝することはできていません。1998年は女子の高橋尚子さんが金でしたが、男子の金はありませんでした。2018年は男子の井上大仁さんが金でしたが、女子の野上恵子さんは銀でした。

今回の名古屋大会でも、男子の山下一貴選手が金メダルを獲得し、女子の矢田選手が金を目指して積極的に走りましたが、37〜38キロでハブテ選手のスパートについていけず、銅メダルでした。矢田選手のプロフィールは「矢田みくにってどんな選手? 熊本出身、初マラソン日本最高2時間19分57秒の「二刀流」ランナーが転倒を乗り越えて銅メダル」で紹介しています。40年ぶりのアベックVまでは、あと一歩でした。それでも、日本が男女そろってメダルを獲得したのは、2018年ジャカルタ大会(男子金・女子銀)以来、2大会ぶりです。32年ぶりの国内開催となったアジア大会で、男女ともに表彰台に立ったことは、大きな成果といえます。

佐藤早也伽「すごく悔しい」、4位の裏側

今回、日本勢でもう一人出場したのが、佐藤早也伽選手です。佐藤選手は2時間28分14秒の4位で、3位の矢田選手とは18秒差、メダルにはわずかに届きませんでした。

世界陸上2大会連続代表、名古屋ウィメンズ2年連続2位

佐藤選手は1994年5月27日生まれ、宮城県出身の32歳です。日本陸連のプロフィールによると、宮城県の鹿島台中学校から常盤木学園高校(陸連の表記は「常磐木高校」)、東洋大学に進み、積水化学に入りました。高校時代から「将来は、実業団でマラソンを走りたい」という夢を持っていたといいます。

佐藤選手は、世界陸上の女子マラソンで2大会連続の日本代表です。2023年のブダペスト大会では20位、2025年の東京大会では13位でした。2025年3月の名古屋ウィメンズマラソンでは、2時間20分59秒で2位(日本人最上位)に入り、自己ベストを更新しました。日本陸連によると、この記録は当時の日本歴代9位です。2026年3月の名古屋ウィメンズでも、2時間21分56秒で2位(日本人1位)に入り、最後まで優勝争いを繰り広げて、2028年ロサンゼルス五輪の代表選考会となるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権を獲得しました(日本陸連)。

日本陸連によると、佐藤選手は2026年の名古屋ウィメンズの直後に「アジア大会やMGCに向けてというところは、これからじっくりと考えていきたい」と話していました。日刊スポーツによると、その後、「自分の中でアジア大会に挑戦してみたいなっていう気持ちになったのが1番大きい」と話し、アジア大会への出場を決めました。国内開催のアジア大会で、メダルを目指しての挑戦でした。

レース後に矢田を祝福した場面と「MGCへ一から」

レースで、佐藤選手は序盤から集団の先頭に立つ場面があり、スローペースの展開の中でペースを刻みました。10キロは佐藤選手が先頭で36分42秒で通過しています(THE DIGEST)。17キロ手前で矢田選手が仕掛けたときにも反応しましたが、30キロの時点で先頭集団から後退し、2時間28分14秒の4位でゴールしました。

デイリースポーツによると、ゴール後、矢田選手は4位の佐藤選手から祝福されて笑顔を見せ、その後に日の丸を掲げました。

一方で、佐藤選手は自分の結果には厳しい言葉を口にしました。スポニチアネックスによると、レース後、「最低でも3位以内でメダル獲得を目指していたので、そこに届かなかったことが凄く悔しい」と話しています。そのうえで、MGCを目指して「そこを目標にもう一度、イチから取り組んでいけたら」と、再出発する決意を語りました。佐藤選手は、すでに名古屋ウィメンズでMGCの出場権を獲得しています。

32歳の佐藤選手と、26歳の矢田選手。世代の違う2人が同じレースで競い合い、ゴール後にたたえ合った姿は、日本の女子マラソンの層の厚さを示す場面でもありました。次のMGCでは、2人がロサンゼルス五輪の代表の座をかけて、再び同じレースを走る可能性があります。

まとめ

  • 女子マラソンは、ハブテ選手(バーレーン)が金、矢田みくに選手が2時間27分56秒で銅、佐藤早也伽選手が4位でした。日本女子のメダルは2大会ぶりです。
  • 矢田選手は22キロ過ぎにバーレーンのチェリモ選手の転倒に巻き込まれましたが、すぐに立ち上がり、27キロ過ぎに再び先頭へ。37〜38キロでハブテ選手のスパートについていけず3位でした。
  • 優勝タイムが2時間27分台だったのは、雨と、順位を争う「けん制」のレースだったためです。
  • 日本女子のアジア大会マラソンの金は、1986年の浅井えり子さんと1998年の高橋尚子さんの2回だけで、高橋さんの2時間21分47秒は今も大会記録です。
  • 4位の佐藤選手は悔しさを語りながらも矢田選手を祝福し、MGCに向けて「もう一度、イチから」と話しました。

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参考・出典