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アジア大会

山下一貴(イチタカ)ってどんな選手? 長崎出身・駒大箱根2区3年連続、「イチタカスマイル」の理由とアジア大会金までの道のり


2026年9月26日、愛知・名古屋アジア大会の男子マラソンで、山下一貴選手(三菱重工)が2時間10分49秒で金メダルを獲得しました(日刊スポーツ、THE ANSWER)。ゴール後にスタンドへ笑顔で一礼した姿をテレビで見て、「この選手は誰?」「名前はなんて読むの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。

山下選手は、日本歴代6位の2時間5分51秒を持つ実力者です。しかし、2023年の世界陸上ブダペスト大会で両脚がけいれんして入賞を逃したあと、約2年間は故障に苦しんでいました。この記事では、山下一貴選手のプロフィール、長崎・瓊浦高校と駒澤大学時代の経歴、三菱重工の先輩・井上大仁選手との関係、世界陸上での悔しい経験、「イチタカスマイル」と呼ばれる笑顔、そして2028年ロサンゼルス五輪に向けた今後の目標までを、順を追って解説します。

山下一貴のプロフィール

名前の読み方は「やました・いちたか」。1997年生まれ、長崎県出身の29歳

山下一貴選手の名前は「やました・いちたか」と読みます。「一貴」を「かずき」「かずたか」と読み間違える人も多いのですが、正しくは「いちたか」です。ファンや陸上関係者の間では、下の名前から「イチタカ」と呼ばれることもあります。

生年月日は1997年7月29日で、2026年のアジア大会の時点では29歳です。出身は長崎県長崎市で、長崎市立滑石中学校から瓊浦(けいほ)高校に進みました(Wikipedia、日本陸上競技連盟)。

身長172センチ、三菱重工所属。自己ベストは日本歴代6位の2時間5分51秒

山下選手の基本的なプロフィールは次のとおりです。

  • 名前:山下一貴(やました・いちたか)
  • 生年月日:1997年7月29日(29歳)
  • 出身地:長崎県長崎市
  • 学歴:長崎市立滑石中学校 → 瓊浦高校 → 駒澤大学
  • 所属:三菱重工(マラソン部)。2020年に入社
  • 身長:172センチ(Wikipediaによる。2022年の三菱重工の発表では171センチ、体重54キロ)
  • マラソン自己ベスト:2時間5分51秒(2023年東京マラソン、日本歴代6位)
  • 主な代表歴:2023年世界陸上ブダペスト、2026年アジア大会(金メダル)

自己ベストの2時間5分51秒は、2023年の東京マラソンで出した記録です。当時は日本歴代3位でしたが、その後に日本のマラソンのレベルが上がり、現在は日本歴代6位となっています。今回のアジア大会では、同じく日本代表の吉田祐也選手(GMOインターネットグループ)が日本歴代4位の2時間5分16秒を持っており(THE ANSWER)、日本は2時間5分台の2人を送り込んでいました。2人は1997年生まれの同学年です(日本陸上競技連盟)。

なお、アジア大会の優勝タイムは2時間10分49秒で、自己ベストより5分ほど遅い記録です。スポーツ報知によると、スタート時は小雨で気温は23度でした。解説の原晋監督も湿度の高さに触れていたように、記録よりも順位を争う厳しい条件のレースでした。

学生時代の経歴:瓊浦高から駒大へ

長崎・瓊浦高校時代

山下選手が陸上を始めたのは、中学生のときです。西日本スポーツ(西スポWEB OTTO!)のインタビューによると、友人に誘われて陸上部に入りましたが、当時は「中学で辞めるくらいの気持ちだった」といいます。

進学した瓊浦高校では、「勉強は嫌いだから」と就職を考えて機械科に所属していました。転機となったのは高校2年のときです。担任の先生との面談で「おまえはもっと上を目指せ」と言われたことで、陸上に本気で取り組むようになりました。高校卒業後は陸上推薦で実業団に入ることを希望しましたが採用されず、駒澤大学への進学を決めたといいます。

高校時代の全国大会での個人の実績は、確認できた報道の範囲では分かりませんでした。

駒大で箱根駅伝の「花の2区」を2年から3年連続で走った

駒澤大学では、大八木弘明監督(現・総監督)の指導を受けました。西スポWEBによると、山下選手は入学直後、大八木監督の家で開かれた食事会で「三菱に行きます」と宣言していたそうです。大八木監督からはことあるごとに「ゆくゆくはマラソンで日本代表になれ」という趣旨の言葉をかけられたといいます。この言葉が、のちにマラソンで日本代表になる山下選手の原点になりました。

箱根駅伝では、2年生から4年生まで3年連続で、各大学のエースが集まる「花の2区」を任されました。箱根駅伝の公式サイトに残る記録は次のとおりです。

  • 第94回大会(2018年、2年生):2区 区間13位 1時間9分58秒
  • 第95回大会(2019年、3年生):2区 区間9位 1時間8分9秒
  • 第96回大会(2020年、4年生):2区 区間13位 1時間8分18秒

区間順位だけを見ると、区間賞を争うような突出した成績ではありません。それでも、3年続けてエース区間を任されたことは、チームからの信頼の大きさを示しています。そして大学卒業後、山下選手は恩師の言葉どおりマラソンの道に進みます。

三菱重工での歩みと、先輩・井上大仁

2020年に三菱重工(当時は三菱日立パワーシステムズ)に入社

山下選手は駒澤大学を卒業後、長崎を拠点とする三菱日立パワーシステムズ(MHPS)のマラソン部に入りました。現在の三菱重工マラソン部です。三菱重工が2022年に出した発表では「2020年入社」となっています。長崎を拠点とするチームへの入社は、山下選手にとって地元に戻る形になりました。指導するのは黒木純監督です。

マラソンデビューは、2021年2月のびわ湖毎日マラソンで、2時間8分10秒を記録しました。Wikipediaによると、これは藤原正和さんが2003年に出した初マラソンの日本記録を上回るものでした。2回目のマラソンとなった2022年2月の大阪・びわ湖統合大会では2時間7分42秒をマークし、杭州アジア大会の男子マラソン日本代表に内定しました。しかし、杭州大会は1年延期となり、日本陸連は2022年6月に代表内定を解除して選び直すことを決めました(月陸Online)。山下選手にとって、今回の名古屋大会は、一度は手にしながら失ったアジア大会の舞台に4年越しで立った大会だったことになります。

2018年アジア大会で金の井上大仁は、同じチームの先輩

三菱重工マラソン部には、2018年のジャカルタ・アジア大会の男子マラソンで金メダルを獲得した井上大仁選手が所属しています。山下選手にとっては同じチームの先輩にあたります。

アジア大会の男子マラソンで日本勢が金メダルを取ったのは、井上選手以来2大会ぶりです。日本陸上競技連盟の資料によると、アジア大会の男子マラソンで日本勢はこれまで、1962年の長田正幸選手、1966年と1970年の君原健二選手、1978年の阪本峰照選手、1986年の中山竹通選手、2018年の井上大仁選手が金メダルを獲得しており、合計6回・5人でした。山下選手の金は、日本勢として7度目、6人目となります。同じチームの先輩と後輩が2人続けてアジアの頂点に立ったことになり、三菱重工マラソン部にとっても大きな快挙です。歴代の金メダリストについては「アジア大会男子マラソン、日本の金は何人目? 君原健二から井上大仁、山下一貴まで歴代の金メダリストと「32年ぶり国内開催」を振り返る」で詳しく紹介しています。

2023年世界陸上ブダペストの「両脚けいれん」

東京マラソン2時間5分51秒(当時の日本歴代3位)で代表に

山下選手が一気に日本のトップランナーの仲間入りをしたのが、2023年3月の東京マラソンです。3回目のマラソンで2時間5分51秒を記録し、総合7位、日本人トップに入りました。この記録は当時、日本歴代3位でした。

この結果が評価され、山下選手は同じ年の8月にハンガリーで開かれた世界陸上ブダペスト大会の男子マラソン日本代表に選ばれました。初めての世界大会で、どこまで世界と戦えるのかに注目が集まりました。

終盤まで上位争いをしたのに、けいれんで失速して日本人トップの11位

2023年8月27日に行われた世界陸上の男子マラソンで、山下選手は大健闘を見せました。日本陸連の報告によると、20キロ付近では先頭集団の前方に出て、一時は集団を引っ張りました。32キロ過ぎにアフリカ勢がペースを上げると7位グループで追い、37キロ付近で6位、38キロで5位まで順位を上げています。初めての入賞だけでなく、メダルも見える位置でした。

しかし、38キロ地点で左ふくらはぎがけいれんし、その後は両脚に広がって大きくペースを落としました。記録は2時間11分19秒で、ゴールした時点では12位でした。山下選手はレース後、「38km地点で左脚のふくらはぎが攣ってしまって、それで失速してしまった」と振り返り、上位を走っていたときは「これは見る人、面白いんじゃないかな」と思いながら走っていたと話しています。その後、9位の選手がドーピング違反で失格となったため、山下選手の順位は11位に繰り上がりました(月陸Online)。日本人トップの成績です。

この大会のあと、山下選手は苦しい時期を過ごしました。約2カ月後の2023年10月に行われたパリ五輪の代表選考会、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)では、2時間14分11秒の32位に終わり、パリ五輪の代表入りはなりませんでした(月陸Online)。長崎新聞のインタビューで山下選手は、MGCで調子を落としてから「1年間は脚の違和感がなかなか取れなかった」「昨秋ごろまでの2年間は結構しんどかった」と振り返っています。

トレードマーク「イチタカスマイル」とは

レース中や、ゴールして一礼したときの笑顔が話題に

山下選手のトレードマークが、「イチタカスマイル」と呼ばれる笑顔です。Wikipediaによると、2023年の世界陸上では両脚がけいれんする苦しいレースの後にも笑顔を見せ、そのレース中とは対照的な笑顔が「イチタカスマイル」と呼ばれています。2022年の大阪・びわ湖統合大会では、35キロ過ぎの先頭集団で笑みをこぼす場面がテレビで中継されました。

三菱重工の黒木純監督は、山下選手の性格について「のんびりした感じで、(有力選手が集う)東京のような大舞台でも動じずに力を出すことができる」と評価しています(西スポWEBによる)。大舞台でも緊張しすぎず、自然体で走れることが、山下選手の強みといえます。

今回のアジア大会でも、山下選手は冷静なレース運びを見せました。デイリースポーツやスポーツ報知によると、序盤から先頭集団を引っ張り、17キロ付近で吉田選手が先頭集団から遅れるなかでも踏ん張りました(吉田選手は2時間18分33秒の11位、月陸Online)。30キロ地点の上り坂でスパートをかけて一時は先頭に立ち、35キロ付近でインドと北朝鮮の選手との3人の並走から一気に抜け出して、独走でゴールしています。テレビ中継で解説を務めた青山学院大学の原晋監督は、「この湿度の中、このままゴールできるとは思えない。何か後半、波乱が起きる」と予想したうえで、「その中で山下君が一番冷静に走っている」と評価していました(日刊スポーツ)。

THE ANSWERによると、競技場に戻ってくると帽子を取って大歓声に応え、先頭でゴールしました。ゴール後は、スタンドに向かって笑顔で一礼し、「ホッとしてます」と話しました(デイリースポーツ)。THE ANSWERによると、優勝インタビューでは声援に「反応する余裕がなくて申し訳ない」と謝る場面もあり、人柄をうかがわせました。冷静な走りと、ゴール後の笑顔。この2つが、アジア大会の金メダルを象徴する場面になりました。5キロごとの通過タイムやスパートの位置など、レース展開の詳しい分析は「アジア大会男子マラソン、山下一貴はどこで勝った? 優勝タイム2時間10分台の理由と、5キロごとのレース展開を解説」でまとめています。同じ日の女子マラソンでは、矢田みくに選手が銅メダルを獲得しています(「矢田みくにってどんな選手? 熊本出身、初マラソン日本最高2時間19分57秒の「二刀流」ランナーが転倒を乗り越えて銅メダル」)。

これからの目標:MGCとロス五輪

2月の大阪マラソン(日本人2位、2時間6分18秒)で代表をつかむ

苦しい時期を乗り越えるきっかけになったのは、基本に立ち返ったことでした。長崎新聞によると、山下選手は、足りないものを探し続けた末に、大阪マラソンの数週間前に腹筋や体幹が足りていないのではと気づき、基本的な体幹トレーニングに取り組んだといいます。「2年かけて、あらためて基本の大事さに気づいた」と話しています。

そして2026年2月の大阪マラソンで、2時間6分18秒の日本人2位に入り、アジア大会の代表に選ばれました(月陸Online)。3月の会見では「1年前からアジア大会を目指してやってきた」と話し、「金メダルを目指したい」と語っていました。半年後、その言葉どおりの結果を出したことになります。

山下選手はアジア大会の前、長崎新聞に対して「金メダルを目標に走って、その勢いのまま(28年の)ロサンゼルス五輪に向かっていきたい」と語っていました。ロス五輪の代表選考会となる次回のMGCの日程や、出場権の条件、代表選考の詳しい方法については、日本陸連の発表を確認する必要があります。

まとめ

山下一貴選手について、この記事のポイントを整理します。

  • 名前の読み方は「やました・いちたか」。1997年生まれ、長崎県出身の29歳で、三菱重工に所属。自己ベストは日本歴代6位の2時間5分51秒
  • 瓊浦高校では機械科に所属し、「中学で辞めるくらいの気持ち」だった陸上に高校2年から本気で取り組んだ。駒澤大学では大八木弘明監督の指導を受け、箱根駅伝の2区を3年連続で走った
  • 2022年に杭州アジア大会の代表に選ばれたが、大会の延期で内定が解除された。三菱重工の先輩・井上大仁選手は2018年アジア大会の金メダリスト
  • 2023年世界陸上では38キロ地点まで5位を走りながら、両脚のけいれんで失速して11位(日本人トップ)。その後のMGCは32位で、約2年間は故障に苦しんだ
  • 2026年2月の大阪マラソンで復活し、アジア大会で日本勢7度目・6人目の金メダル。35キロ付近で抜け出す冷静な走りだった。次の目標はMGCと2028年ロサンゼルス五輪

世界陸上での悔しいけいれん、MGCでの大敗、そして2年間の不調を乗り越えて、地元・日本開催のアジア大会で頂点に立った山下選手。トレードマークの「イチタカスマイル」の裏には、基本を見直し続けた地道な努力がありました。ロス五輪に向けた代表争いでも、山下選手の冷静な走りと笑顔に注目です。

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参考・出典