2021年の東京五輪で、スケートボード女子パークの最後のランに失敗して泣き崩れた15歳の岡本碧優(おかもと・みすぐ)選手を、ほかの国の選手たちが抱きしめて担ぎ上げました。この場面を覚えている方は多いのではないでしょうか。その岡本選手が、2026年9月25日の愛知・名古屋アジア大会で銅メダルを獲得しました。「岡本碧優って今どうしているの?」「しばらく名前を聞かなかったのはなぜ?」と気になって検索した方もいるかもしれません。
岡本選手は東京五輪のあと、一度スケートボードの競技から離れていました。この記事では、アジア大会での銅メダルの内容と、東京五輪で何があったのか、競技を離れた理由と復帰までの道のりを、本人の言葉をもとに整理します。「目薬」の話題が注目された試合後のコメントや、次の目標をあえて語らなかった理由にも触れます。
岡本碧優、アジア大会で銅メダル
決勝は2回目の82.86点。大技「540」も決めた
岡本碧優選手は2026年9月25日、愛知県国際展示場で行われたアジア大会のスケートボード女子パーク決勝で、82.86点をマークして銅メダルを獲得しました。金メダルは世界ランキング1位で15歳の長谷川瑞穂選手(S高)で、日本勢として3大会連続の金メダルです。銀メダルはチャイニーズ・タイペイの林逸凡選手でした(TBS NEWS DIG)。岡本選手は長谷川選手とともに表彰台に上がりました(長谷川選手については「スケボー女子パークで長谷川瑞穂が金、日本は3連覇|世界ランク1位の15歳と、日本のスケボーが強い理由」)。同じ日の男子パークでも、中学生の永原依弦選手が金、志治群青選手が銅メダルを獲得しています(「永原依弦・志治群青とは?スケボー男子パークで金と銅、15歳の中学生コンビの経歴と読み方」)。
パークは、すり鉢状のくぼみや曲面を組み合わせたコースを滑り、技の難しさや完成度などを競う種目です。TBS NEWS DIGによると、決勝では全選手が3本滑り、上位5人が最後の4本目に進みます。最も得点が高いランが採用される仕組みです。岡本選手は1本目を失敗しましたが、2本目で全体3番手となる82.86点を出し、この得点が最終的に銅メダルにつながりました。
読売新聞オンラインやTBS NEWS DIGによると、岡本選手はこの2本目で大技「540(ファイブフォーティー)」を決めています。540は、空中で体を1回転半させる難しい技です。日本語版ウィキペディアによると、岡本選手は2019年のデュー・ツアーで、女子選手として初めて「バックサイド540」を決めて優勝しています。かつて「金メダル候補」と呼ばれた実力を、アジア大会の舞台でも示しました。
岡本選手は愛知県の出身です。地元の愛知で開かれた大会でのメダルについて、日刊スポーツの取材に「自国開催で(東京の時は)メダルを獲得できなかった。今回皆さんにメダルを持って帰ることができて本当にうれしい」と話しています。
3回目は「目が乾燥して前が見えなかった」(コンタクトレンズがずれかけた)
岡本選手は3回目と4回目のランでは得点を伸ばせませんでした。3回目の失敗について、岡本選手は読売新聞オンラインの取材に「目が乾燥しちゃって、前が見えなくて……。それでこけてしまいました。滑る前に目薬をさしておけばよかったって後悔しています」と振り返っています。
日刊スポーツによると、着けていたコンタクトレンズが乾燥して、はがれ落ちそうになっていたといいます。スケートボードは高速でコースを滑りながら空中で技を繰り出す競技のため、わずかな視界の乱れでも大きな影響が出ます。岡本選手は「目薬はちゃんとつけようと思います」とおどけてみせ、報道陣を和ませました。
決勝の当日は、「朝ご飯を一口食べただけでもう吐くんじゃないかというぐらい気持ち悪くて」と話すほど緊張していたそうです。それでも試合後は笑顔でインタビューに応じ、ユーモアを交えて自分の滑りを振り返っていました。
東京五輪で何があった?
優勝候補から4位に。最後のランの失敗と、ほかの選手たちとのハグ
岡本選手が東京五輪に出場したのは、2021年、15歳の中学3年生のときです。2019年には、デュー・ツアー、世界選手権、X Gamesといった主要な国際大会を次々に制しています(日本語版ウィキペディア)。読売新聞オンラインによると、直前の大会の好成績や世界ランキングから、東京五輪では優勝候補と目されていました。
しかし2021年8月4日の女子パーク決勝で、岡本選手は最後のランで大技に挑んで決めきれず、4位に終わりました。この種目では、四十住さくら選手が金メダル、開心那選手が銀メダルを獲得し、日本勢の活躍が話題になっています。その一方で、表彰台を逃した岡本選手は、ランを終えて泣き崩れました。
その岡本選手のもとに、ほかの国の選手たちが駆け寄り、抱きしめて肩に担ぎ上げました。国や順位に関係なく、挑戦した仲間をたたえる姿は、スケートボードのカルチャーを体現した場面として大きく取り上げられました。東洋経済オンラインは、この場面を「教科書にも載った『スポーツの美しい瞬間』」と紹介しています。
「何も言わず競技から離れた」、その理由
東京五輪のあと、岡本選手はスケートボードの競技から姿を消しました。読売新聞オンラインによると、それまで結果を求めて練習漬けだった日々から離れ、自分が本当に何をしたいのかと向き合おうと考えたといいます。
中日新聞は、岡本選手が競技を離れた理由について「勝ちが全てで、楽しくない」という本人の言葉を見出しに取り上げています。スポニチアネックスの取材にも、岡本選手は「勝つことばかりに焦点を当てすぎて、楽しさを忘れていた」と話しています。
アジア大会の銅メダル獲得後、岡本選手は「東京五輪の時にはみなさんにニュースで取りあげてもらったりしましたが、私は何も言わずに競技から離れてしまった」と語りました(読売新聞オンライン)。日刊スポーツの取材には、「心配するコメントもたくさんあったので、今回こうやってまた元気で笑顔で戻ってきたところを見せられてよかった。前回(五輪)では『ありがとう』と言えなかったので、感謝を込めて一生懸命頑張りました」と、当時伝えられなかった思いを口にしています。
スポニチアネックスによると、競技を離れていた高校時代はバスケットボール部に所属していました。そして「大学受験の時に気分転換にやってみたいなと思って、スケボーを始めた」といいます。
復帰までの道のり
2025年7月のMURASAKI SHONAN OPENで競技に戻る
読売新聞オンラインによると、岡本選手は2025年7月の「MURASAKI SHONAN OPEN(ムラサキ湘南オープン)」で競技に復帰しました。この大会は、湘南エリアで行われるアクションスポーツのイベントで、2025年に6年ぶりに開かれたものです(SURFMEDIA)。スポニチアネックスは、岡本選手が昨秋に本格的に競技に復帰し、今年6月には東京五輪以来となる国際大会に出場したと伝えています。
中日新聞は、復帰した岡本選手の「好きという気持ちを大切にしたい」という言葉を見出しで伝えています。日本経済新聞も、岡本選手の復帰を「勝利至上主義から脱却」という見出しで紹介しました。
2025年10月の日本選手権で2位
読売新聞オンラインによると、岡本選手は2025年10月の日本選手権で2位に入り、再び第一線に戻ってきました。そして地元・愛知で開かれるアジア大会の日本代表に選ばれています。
TBS NEWS DIGによると、10代の選手が多い今大会の女子パーク決勝で、20歳の岡本選手は唯一の20代でした。約4年のブランクを経て、再び日本代表の座をつかんだことになります。
「前回は中学生だった」から「今までで一番緊張した」へ
日本代表を背負う重さへの気づき
岡本選手は、東京五輪とアジア大会での自分の気持ちの違いについて、読売新聞オンラインの取材にこう語っています。「前回は中学生だったので、本当の意味で日本を背負うという自覚が薄かったのかなと思いました。だから、今回は『こんなに重いものだったのか』って、今までで一番緊張しましたが、その分、自分の成長を感じました」。
15歳で出場した東京五輪では、優勝候補として大きな期待を背負いながらも、その重さを十分に自覚しないまま戦っていたといいます。20歳になった今、日本代表として戦う重みを初めて実感し、それを「成長」と受け止めているのが印象的です。
試合前には、コースに入る前に手を合わせて祈るのが岡本選手のルーティンです。「手と手の隙間を作って、絶対に乗れるように、落ち着いて、って言葉にする。それをまた飲み込むようにするんです。祈ると落ち着くんです」と、笑顔で説明しています。
次の目標を言わない理由:「今は楽しくをモットーに」
気になるのは、2028年のロサンゼルス五輪など、岡本選手の今後の目標です。しかし、アジア大会のあとに次の目標を聞かれた岡本選手は、具体的な答えを避けました。
岡本選手は「目標を作っちゃったら、頑張っちゃう、一生懸命やっちゃうんで、今は楽しくをモットーにやっていきたいです」と話しています。目標を決めれば、そこに向かって全力で頑張りすぎてしまう。だからこそ、今は楽しむことを大切にしたいという考えです。
東京五輪までの岡本選手は、勝つことを第一に練習を重ねてきました。その結果、スケートボードを楽しむ気持ちを見失い、競技から離れることになりました。今回あえて目標を口にしなかったのは、同じことを繰り返さず、自分のペースでスケートボードと向き合いたいという思いの表れと受け取れます。ロス五輪を目指すかどうかについて、現時点で本人から明言はありません。
プロフィール(20歳、MKグループ所属、兄の影響でスケボーを始めた)
岡本碧優選手の基本的なプロフィールと主な戦績は、次のとおりです。
- 名前:岡本碧優(おかもと・みすぐ)
- 生年月日:2006年6月22日(20歳)
- 出身地:愛知県高浜市
- 所属:MKグループ
- 種目:スケートボード・パーク
- スケートボードを始めたきっかけ:兄の影響(日刊スポーツは8歳、ウィキペディアは小学2年生のころと紹介)
主な戦績は次のとおりです。
- 2018年:世界選手権(南京)5位
- 2019年:デュー・ツアー優勝(女子初のバックサイド540を成功)、世界選手権優勝、X Games優勝
- 2021年:東京五輪 女子パーク4位
- 2025年:MURASAKI SHONAN OPENで競技復帰、日本選手権2位
- 2026年:愛知・名古屋アジア大会 女子パーク銅メダル
日刊スポーツによると、岡本選手は兄の影響で8歳からスケートボードを始めました。2018年の世界選手権で5位に入ると、翌2019年には主要な国際大会を次々に制し、一気に世界のトップに立ちました。
所属のMKグループは、スケートボードの選手を支援しています。
まとめ
岡本碧優選手について、この記事のポイントを整理します。
- 2026年9月25日のアジア大会スケートボード女子パークで、82.86点で銅メダルを獲得。大技「540」も決めた
- 2021年の東京五輪では優勝候補として出場したが、最後のランで転倒して4位。泣き崩れた岡本選手をほかの国の選手たちが抱きしめた場面が世界的に話題になった
- 東京五輪後は「勝ちが全てで、楽しくない」と競技を離れ、高校ではバスケットボール部に。2025年7月に復帰し、同年10月の日本選手権で2位に入って、アジア大会の代表に
- 「前回は中学生だった」と振り返り、日本代表の重さを初めて実感。次の目標は語らず「今は楽しくをモットーに」
東京五輪で「何も言わず」競技から離れた岡本選手は、4年あまりを経て、笑顔と「ありがとう」の言葉とともに戻ってきました。結果だけを追うのではなく、スケートボードを楽しむことを大切にしながら、自分の歩幅で前に進もうとしています。これから岡本選手がどんな滑りを見せてくれるのか、温かく見守っていきたいところです。
関連記事
参考・出典
- 反省点は「目薬」…「東京4位」だった岡本碧優が銅メダル、次の目標を質問されても答えない「らしさ」 | 読売新聞オンライン(Infoseekニュース)
- 「何も言わず去ってしまった」岡本碧優がパーク女子銅、東京五輪4位から昨年復帰 | 日刊スポーツ(Yahoo!ニュース)
- 競技復帰の岡本碧優が笑顔の銅 | スポニチアネックス(Yahoo!ニュース)
- 世界ランク1位・15歳の長谷川瑞穂が堂々の金メダル 岡本碧優は復活の銅メダル | TBS NEWS DIG(Yahoo!ニュース)
- 長谷川瑞穂選手が金、岡本碧優選手が銅 アジア大会、スケートボード女子パーク | 中日新聞Web
- 岡本碧優 - Wikipedia
- Misugu Okamoto | Wikipedia
- 東京五輪4位から一転、岡本碧優はスケートボードから離れた「勝ちが全てで、楽しくない」| 中日新聞Web
- スケートボード復帰「好きという気持ちを大切にしたい」岡本碧優 | 中日新聞Web
- スケートボード岡本碧優 東京五輪以来の復帰、勝利至上主義から脱却 | 日本経済新聞
- 教科書にも載った「スポーツの美しい瞬間」の裏で… | 東洋経済オンライン(Yahoo!ニュース)
- 【注目選手】スケートボード岡本碧優 アジア競技大会 | Olympics.com
- 6年ぶりに復活した「MURASAKI SHONAN OPEN 2025」| SURFMEDIA
- 所属選手|スケートボード|MKグループ